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閻魔詣
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    今日1月16日はやぶ入りで閻魔詣の日です。

     

    朝から閻魔様を御開帳しているいくつかのお寺さんをお詣りしてこようと思っています。

     

    昨年は新高円寺の華徳院と新宿の太宗寺、深川の法乗院をお詣りしました。

     

           華徳院の閻魔様

     

     

     

     

     

     

         太宗寺の閻魔像と奪衣婆像

     

     

     

              釘抜き

     

            法乗院の閻魔様

     

     

    閻魔(えんま)は仏教、ヒンドゥー教などでの地獄、冥界の主。
    冥界の王として死者の生前の罪を裁く神。
    日本の仏教においては地蔵菩薩の化身とみなされ同一視されている。

     

    名称

    魔大王双福

    閻魔は、サンスクリット語及びパーリ語のヤマ (यम, Yama) の音訳。

    ヤマラージャ(यमराज, Yama-rāja、ラージャは王の意味)とも。
    音訳は閻魔羅闍(えんまらじゃ)、意訳は閻魔大王(えんまだいおう)。
    略して閻羅王(えんらおう)、閻(えん)とも。

    Yama(閻魔)は、縛、雙世、雙王、静息、遮止、平等などと和訳される。
    “縛”は罪人を捕縛する意、“雙世”は彼が世中、常に苦楽の二つの報いを受ける意、“雙王”は兄妹一対で二人並びたる王の意、また“平等”は罪人を平等に裁くとの意からこれらの和訳がある。

     

    各地の信仰

    インドの「ヤマ」

    本来はインド・イラン (Indo-Iranian) 共通時代にまで遡る古い神格で、『アヴェスター』の聖王イマ(中世・近世ペルシア語でジャム(「輝けるジャム」の意味でジャムシードとも呼ばれる))や北欧神話の巨人ユミルと同起源である。

    『リグ・ヴェーダ』では、ヤマとその妹ヤミー (Yami) はヴィヴァスヴァットの子で、母はトヴァシュトリの娘サラニュー(英語版)とされた。
    人間の祖ともされ、ヤマとヤミーの兄弟姉妹婚により最初の人類が生まれた。

    ヤマは人間で最初の死者となり、死者が進む道を見いだした。
    そして死者の国の王となった。
    虚空のはるか奥に住むという。
    インドでは、古くは生前によい行いをした人は天界にあるヤマの国に行くとされた。
    そこは死者の楽園であり、長寿を全うした後にヤマのいる天界で祖先の霊と一体化することは、理想的な人生だと考えられていた。

    しかし後代には、赤い衣を着て頭に冠を被り、手に捕縄を持ち、それによって死者の霊魂を縛り、自らの住処・国に連行されると考えられた。
    ヤマの世界は地下だとされ、死者を裁き、生前に悪行をなした者を罰する恐るべき神と考えられるようになった。
    骸骨の姿をした死の病魔トゥルダクや、神犬サラマーから生まれた四つ目で斑の二匹の犬サーラメーヤ (Sarameya) を従える。
    ついには単なる死神としても描かれるようになった。
    また、ヤマは時として“死”と同一視される向きもあった。

    現在のインドでは、青い肌で水牛に乗った姿で描かれる(本来は黒い肌だが美術上の様式として青く描かれる)。

    アジアの「閻魔」

    インドのヤマは、のちに仏教に取り入られて閻魔天となり、地獄の主と位置づけられるようになった。
    ただし一説には、本来はヴェーダのYamaという同一尊から二途に分かれていったとも考えられている。

    その二途とは
    一つは、下界の暗黒世界、すなわち地獄界の王となった。
    つまり本項の閻魔。

    一つは、上界の光明世界、すなわち六欲天の第三天である夜摩天、あるいは焔摩天。

    しかし、閻魔はYama(ヤマ)であるが、夜摩・焔摩はYaamaあるいはYaamaa(ヤーマ、ヤーマー)なので、本来は関係ないが混同されたと考える向きもある。


    中国

    中国に伝わると、道教における冥界・泰山地獄の主である泰山府君と共に、冥界の王であるとされ、閻魔王、あるいは閻羅王として地獄の主とされるようになった。

    やがて、晩唐代に撰述された偽経である『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経』(略して『預修十王生七経』)により十王信仰と結び付けられ、地獄の裁判官の一人であり、その中心的存在として、泰山王とともに、「人が死ぬと裁く」という役割を担い、信仰の対象となった。
    現在よく知られる唐の官人風の衣(道服)を纏った姿は、ここで成立した。

    また、中国的な発想では、冥界の主宰者である閻魔王や、十王であっても、常住の存在とは考えられていない。
    それらの尊格も、生者が選ばれて任命され、任期が過ぎれば、新たな閻魔と交替するのが当然と考えられていた。

    よって、唐代や明代に流布した説話にも、冥界に召喚されて、閻魔となった人間の話が見られる。
    清廉潔白で国家を支えた優秀な官吏が、死後閻魔になったという説話も出来、北宋の政治家・包拯は閻魔大王になったと信じられていた。

     

    日本

    日本仏教においては地蔵菩薩と同一の存在と解され、地蔵菩薩の化身ともされている。

    後に閻魔の本地とされる地蔵菩薩は奈良時代には『地蔵十輪経』によって伝来していたが、現世利益優先の当時の世相のもとでは普及しなかった。
    平安時代になって末法思想が蔓延するにしたがい源信らによって平安初期には貴族、平安後期には一般民衆と広く布教されるようになり、鎌倉初期には預修十王生七経から更なる偽経の『地蔵菩薩発心因縁十王経』(略して『地蔵十王経』)が生み出された。
    これにより閻魔の本地が地蔵菩薩であるといわれ(ここから、一部で言われている閻魔と地蔵とを同一の尊格と考える説が派生した)、閻魔王のみならず十王信仰も普及するようになった。
    本地である地蔵菩薩は地獄と浄土を往来出来るとされる。

    なお前述の通り、十二天の焔摩天は同じルーツを持つ神ともいわれる。
    中国では焔摩天が閻魔大王に習合されていたが、日本に伝わった時にそれぞれ別個に伝わったため同一存在が二つに分かれたとも考えられている。

    閻魔王の法廷には、浄玻璃鏡という特殊な鏡が装備されている。
    この魔鏡はすべての亡者の生前の行為をのこらず記録し、裁きの場でスクリーンに上映する機能を持つ。
    そのため、裁かれる亡者が閻魔王の尋問に嘘をついても、たちまち見破られるという。
    司録と司命(しみょう)という地獄の書記官が左右に控え、閻魔王の業務を補佐している。
    平安時代の公卿・小野篁には、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説がある。
    戦国時代の武将・直江兼続にも、閻魔大王宛に死者の返還を求める手紙を書いたという逸話がある。

    京都府大山崎町の宝積寺には、閻魔・司録・司命が居並ぶ地獄の法廷を再現した鎌倉時代の木像があり、重要文化財に指定されている。

    大阪市浪速区には、閻魔を祀った西方寺閻魔堂(正式には「合邦辻閻魔堂西方寺」。創建は伝・聖徳太子)があり、浄瑠璃の「摂州合邦辻」の舞台にもなっている。

    1月16日・7月16日前後、奉公人は休暇を貰い故郷に帰る藪入りの日であった。
    余暇を使いその日に閻魔堂に詣でたり、芝居などを楽しむ奉公人が多く、昔は1月16日・7月16日を「賽日・初閻魔」と呼んでいた。
    関東から中部地方にかけては、7月1日には地獄も定休日として罪人を煮る釜のふたを開き、亡者を苛むのを休んだということから「釜蓋朔日」と呼び、この日から盆入りとする。

    閻魔王はコンニャクが大好物であるという俗説もある。
    東京・文京区の源覚寺にこんにゃくを供えれば眼病を治すという「こんにゃくえんま」像があるほか、各地の閻魔堂でこんにゃく炊きの行事が行われる。
                                                    (Wikipediaより)

     

     

    posted by: 1513neoya | とはずがたり | 04:31 | comments(0) | - |
    小正月
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      今日1月15日は小正月です。

       

       

       

       

      小正月(こしょうがつ)とは、正月15日の行事である。
      または、14日から16日までの3日間、または、14日の日没から15日の日没まで、または、望(満月)の日、または、元日から15日までの15日間ともされる。

      本来旧暦だが、明治の改暦後は新暦1月15日、もしくは、2000年からは成人の日(1月第2月曜日)に行われる場合もある。

      元日(または元日から1月7日まで)を大正月と呼ぶのに対してこのように呼ぶ。
      正月(字義通りには月末まで)の終わりとも位置づけられる。
      小年(こどし)、二番正月、若年、女正月(おんなしょうがつ)、花正月。
      返り正月、戻り正月と呼ぶ地方もある。


      由来

      中国式の太陰太陽暦が導入される以前、望の日を月初としていたことの名残りと考えられている。


      風習

      日本

      古くはこの小正月までが松の内だった(この日まで門松を飾った)ものが、江戸時代に徳川幕府の命により1月7日の大正月までとされたが、関東地方以外には広まらなかった。

      この日の朝には小豆粥を食べる習慣があった。

      小豆粥イメージ
      古くは『土佐日記』や『枕草子』などにも、小正月に小豆粥を食べたことが記されている。
      現在でも東北地方の農村などに、左義長の前に小豆粥を食べる習慣が残っている地域がある。
      これらの地域では、元日から小正月の期間中に小豆(あるいは、獣肉を含む赤い色をした食品全般)を食することが禁忌とされている場合が多い。

      繭玉をつくって養蚕の予祝をおこなったり、「道具の年越し」とし農具のミニチュアをこしらえ豊作を祈願する習慣が残っている地域もある。

      年神や祖霊を迎える行事の多い大正月に対し、小正月は豊作祈願などの農業に関連した行事や家庭的な行事が中心となる。
      本来は人日まで竈を休ませるはずの松の内に、忙しく働いた主婦をねぎらう意味で、女正月という地方もある。
      場所によっては男性が女性の代わりに料理などの家事を行う日とされる。

      かつて元服の儀を小正月に行っていたということから、1月15日は成人の日という国民の祝日となった。
      しかし、その名前から小正月との関連がわかりづらく、かつ、高度経済成長期以降の都市化などの影響で小正月自体がなじみが薄いものとなったこともあり、2000年から成人の日は1月第2月曜日に変更されている。

      豊作を願う餅花 イメージ

      中華圏

      中華圏では正月15日(元宵節)には湯圓を食べる習慣がある。


      韓国

      韓国では正月15日(ko:정월 대보름)に洞祭(村落祭)が祝われ、農・漁・山それぞれが独自の陰暦の正月を祝う風習が残っている地域がある。


      関連項目

      成り木責め
      元宵節
      左義長


      成り木責め(なりきぜめ)とは、柿、栗、梅など果樹(成り木)について行なわれる豊作祈願の習俗である。
      1月14日あるいは1月15日(小正月)に行なわれることが多い。
      地域によっては”成るか成らぬか”などとも呼ばれる。

      子供を含む数名によって行なわれる。
      一人が鉈をかまえて成り木の前に立ち「成るか成らぬか。成らねば切るぞ。」と脅す。
      それに対して成り木役(子供である場合が多い)が「成ります。成ります。」と答え、豊作を約束する。
      実際に鉈で木に小さな傷をつける場合、さらにはその傷に小豆粥を塗りつける場合もある。


      元宵節(げんしょうせつ)は、正月の望の日(満月の日、旧暦一月十五日。日本でいうところの小正月にあたる)を祝う中華圏での習慣である。
      正月は別に元月とも称され、元月の最初の宵(夜)であることより元宵節と命名された。
      過年は元宵節を迎えて終了する重要な一日である。

       

      由来

      元宵節の由来は漢代にまでさかのぼることができる。
      漢朝の実権を掌握した呂后が崩御すると国内では諸呂の乱が発生、これを平定した陳平等により劉桓が皇帝に推戴された。
      反乱平定を達成したのが正月15日であったことより、以降皇帝は毎年この日に宮殿を出て民衆と共に祝賀したことに由来する。
      この日を文帝により元宵節或いは元夜、元夕と命名された。

      また道教も元宵節に大きな影響を与えている。
      道教における三元神、即ち上元天官、中元地官、下元水官をそれぞれ正月15日、7月15日、10月15日に割り当て、それぞれ上元節、中元節、下元節として祭祀が行われ、そのため元宵節は上元節とも称される。
      元宵節に天官を祭祀するにあたり、人々はランタンを作り華やかな雰囲気を創出し吉祥、邪気払いを行っていた。
      これらの宗教性が次第に希薄になったが、現在でも元宵節には色とりどりのランタンが用いられ、そのため灯節とも称される。
      『史記』楽書には漢武帝の時代には、元宵節には太一神の祭祀が行われていたと記載され、夜通しランタンが灯されていたと記載されている。

      元宵節が民間の風俗となったのは仏教の影響を受けた後である。
      後漢になると仏教が中国に伝播し、明帝の時代には蔡愔がインドより帰国しインドでは正月15日に仏舎利を祭ることを伝えたことによる。
      仏教では灯明が仏具に用いられていたため、元宵節には各寺院で灯明を灯し法会を開くようになった。

       

      ランタンの歴史

      元宵節にランタンが用いられるようになって以来、歴代の中国王朝では元宵節は盛大な年中行事となった。
      南北朝時代、梁の簡文帝による元宵節の様子を描写した『列灯詩賦』なども残されている。
      また隋代になると外国使節の参内を元宵節に定め、多くのランランを用いた元宵節を見学させることで国力の充実を内外に示した。

      中唐になると更に盛大な行事となった。
      唐代にランタンを用いるのは元宵節及び前後一日とされ、漢代から1日とされた元宵節が3日間とされた。
      唐朝では都城である長安では夜間の外出が禁じられていたが、元宵節に限ってはこの禁令が解かれ、民衆がランタンを見るために賑わった。
      また国力が充実していた時期には王侯貴族が自らの富を表現する場として元宵節が選ばれ、『開元天宝記事』には玄宗により高さ150尺のランタンを、楊貴妃の姉に当たる韓国夫人も「百枝灯樹」なる大規模なランタンを製作したと記録されている。

      宋代になると元宵節は更に盛大になり、太祖により期間も正月14日から18日の5日間に延長された。
      ランタンも唐代のものに比べて精巧且つ豪華なものとなり、辛棄疾の『青玉案・元夕』に当時の元宵節の盛大さが描写されている。
      宋代の元宵節は朝廷より民衆に酒が下賜されたことで更に多くの人出を見るようになった。
      またこの時期よりランタンに謎掛けを行う習慣も登場している。

      清代になると満洲より氷灯が中原に紹介され、ランタンの製作に影響を与えたと言われている。

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      湯円

      元宵節には湯円を食べる習慣がある。
      湯円はもち米を原料とした団子であり、中には様々な具が入れられる。
      甘いものとしては砂糖、胡桃、ゴマ、小豆餡、氷砂糖などが、塩辛いものとしては肉や野菜で作られた具が入れられる。

      熱湯の入れられた鍋で茹でる際、湯の中で団子が踊る姿を天に輝く満月に見立てた。
      そして家庭が団円(円満の意味)と音が似ている「湯円」という漢字が使用され、宋代の周必大も『元宵煮浮円子」という詩の中で「今夕是何夕、団円事事同」と表現し、現在でも台湾では「吃了湯円好団円」という民謡が広く知られている。

      元宵節に湯円を食べる由来は唐代に元宵節に食べられていた麺蚕にさかのぼることができる。
      宋代になると乳糖円子と称されるようになりこれが湯円の前身であると考えられる。
      宋代の詩人周必大による『元宵煮浮円子』という漢詩の中に「星爛烏雲里、珠浮濁水中」という一文があり、現在の湯円に近い形態であったと想像される。

      明代になると元宵の名称で呼ばれることが多くなる。
      劉若愚の『酌中志』にその製法が記載されている。
      また清代になると八宝元宵と称される湯円が美食として知られるようになり、元宵節に欠かせない料理として定着していくこととなった。

       

      元宵節にまつわる故事

      元宵節の由来

      一羽の天鵞が天より人間界に舞い降りた際、一人の猟師の放った矢で傷ついてしまった。
      それを知った玉皇大帝は、自ら大切にしていた天鵞に変わって正月15日に天より兵を遣わし地上を焼き払うことを計画した。
      その計画を知った一人の仙人は民衆を救うために地上に降り、正月15日に家々で松明を燃やしランタンを灯すことで厄災を逃れることができると伝えた。

      人々は仙人の言葉の通りに正月15日に松明を燃やしランタンを灯すと、その仙人は玉皇大帝に対し既に地上は焼き払ったと報告、玉皇大帝は衆神を率いて南天門より地上を見下ろすと、地上は赤々とした炎に包まれており、既に地上を焼き払ったと錯覚したため人間界が焼き払われなくて済んだ。
      このことから毎年正月15日にランタンを灯す習慣ができたといわれている。

       

      老学庵筆記の故事

      宋代に州官となった田登という人物がいたが、「登」と「灯」が同音であったことから任地でその使用を禁じ、それを犯した者は処罰するという通達を出した。
      住民たちは「灯」の文字が使用できないために「灯」を「火」、「点灯」を「点火」と称するようになった。

      元宵節を迎えた際に田登も習慣に従いランタンを準備し民衆に観賞させることにし、その通達文を作成することとなった。
      しかし「灯」の文字が使用できないため、官衙の官人は悩み、その結果「灯」を「火」と改めることし、「本州依例、放火三日」と通知を出した。

      たまたま他の土地からやってきた者はこの通達を見て、3日間にわたって「放火」するものと勘違いし逃げ帰ったという故事が記録されている。

      この故事より中国語で官民差別を風刺する際に使用する「只許州官放火、不許百姓点灯」という言葉が生まれ、現在でも使用されている。

       

      牡丹燈籠

      牡丹燈籠の原作である剪燈新話では、主人公二人は元宵節のランタン見物で出会うことになっている。
      これを牡丹燈籠では、盂蘭盆会に移し変えた。

       

      地域の風習

      対罵

      四川省開県に「対罵」という習慣がある。
      これは元宵節の夜、人々が戸外に椅子を出し何時も憎く思っていた相手を力いっぱい罵倒し、罵倒された相手はそれに反論してはいけないというものである。

      走老貌

      山東省莒県では老若男女が元宵節に戸外で活動する習慣があり「走老貌」と称される。
      年に一度かならず外出することで若さを保つとされる。

      石合戦

      福建省南部では村同士の子供たちが石を投げ合う習慣がある。
      石を投げないと村に疫病が流行ると言われている。

      偷青

      広東省文昌県には「偷青」と称される習慣がある。
      これは他人の屋敷の裏庭で栽培されている野菜を盗み、盗まれた人に避難されることを吉祥とする風習である。
      台湾でもネギを盗み吉兆を占う風習が古くは存在していた。
      現在でも「偷挽蔥、嫁好翁。偷挽菜、嫁好婿」というこの風習に由来する俗語が残されている。

       

      ksgtu4


      左義長(さぎちょう、三毬杖)とは、小正月に行われる火祭りの行事。
      地方によって呼び方が異なる(後述)。
      日本全国で広く見られる習俗である。

       

      内容

      1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を3、4本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。
      その火で焼いた餅(三色団子、ヤマボウシの枝に刺した団子等地域によって違いがある)を食べる、また、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくとその年の病を除くと言われている。
      また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると字が上達すると言われている。
      道祖神の祭りとされる地域が多い。

      民俗学的な見地からは、門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされる。
      お盆にも火を燃やす習俗があるが、こちらは先祖の霊を迎えたり、そののち送り出す民間習俗が仏教と混合したものと考えられている。

      とんど(歳徳)、とんど焼き、どんど、どんど焼き、どんどん焼き、どんと焼き、さいと焼きとも言われるが、歳徳神を祭る慣わしが主体であった地域ではそう呼ばれ、出雲方面の風習が発祥であろうと考えられている。
      とんどを爆竹と当てて記述する文献もある。
      これは燃やす際に青竹が爆ぜることからつけられた当て字であろう。

      子供の祭りとされ、注連飾りなどの回収や組み立てなどを子供が行う。
      またそれは、小学校などでの子供会(町内会に相当)の行事として、地区ごとに開催される。

      地方によって焼かれるものの違いがある。
      だるまを焼くかどうか
      1.縁起物を祭りで焼く事により、それを天にかえす
      2.目がつぶれるとされ、祭りでは一切焼かない
      3.だるまそのものが登場しない

      橙(みかん)は代々続くようにと子孫繁栄を願った物を、燃やし易くする為に踏み潰す事が縁起上良くないとされる。
      実施する地域の分布図や形態については、川崎市民ミュージアムに展示がある。
      また、実施しない地域でも、ある特定の日にお札を焼く行事を執り行う地域がある(12月29日など)。
      近年では消防法やダイオキシン問題で取りやめているところもある。

       

      起源

      『弁内侍日記』建長3年1月16日(1251年2月8日)、『徒然草』にみえるから、鎌倉時代にはおこなわれていたらしい。
      起源は諸説あるが、有力なものは平安時代の宮中行事に求めるもの。
      当時の貴族の正月遊びに「毬杖(ぎっちょう)」と言う杖で毬をホッケーのように打ち合う遊びがあり、小正月(1月15日)に宮中で、清涼殿の東庭で青竹を束ねて立て毬杖3本を結び、その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師が謡いはやしながらこれを焼いたという行事があり、その年の吉凶などを占ったとされる。
      すなわち、山科家などから進献された葉竹を束ねたものを清涼殿東庭にたて、そのうえに扇子、短冊、天皇の吉書などを結び付け、陰陽師に謡い囃して焼かせ、天覧に供された。

      『故実拾要』によれば、まず烏帽子、素襖を着た陰陽師大黒が庭の中央に立って囃をし、ついで上下を着た大黒二人が笹の枝に白紙を切り下げたのを持ち、立ち向かって囃をし、ついで鬼の面をかぶった童子一人が金銀で左巻に画いた短い棒を持って舞い、ついで面をかぶり赤い頭をかぶった童子二人が大鼓を持って舞い、ついで金の立烏帽子に大口袴を着て小さい鞨鼓を前に懸け、打ち鳴らしながら舞い、また半上下を着たものが笛、小鼓で打ち囃す。毬杖(ぎっちょう)三本を結ぶことから「三毬杖(さぎちょう)」と呼ばれた。

      これが民間に伝わり、現在の形になったとされる。
      どうして現在一般的な「左義長」という字があてられたのは、不明である。

       

      日付

      国民の祝日の成人の日が1月15日から1月の第2月曜日に変更されたことに伴い、地域によっては左義長を1月の第2日曜日または第2月曜日に実施するところもある。

      福井県勝山市の勝山左義長は毎年2月最終土・日に行われており300年以上前から続いている。
      色とりどりの長襦袢を着て太鼓を打ち浮かれ踊る。「勝山左義長ばやし」と呼ばれ「浮き太鼓」が特徴。

       

      各地の祭り

      文化財指定

      神奈川県大磯町の左義長は国指定の重要無形民俗文化財で、セエノカミサン(道祖神)の火祭りとして、毎年1月14日近辺に大磯北浜海岸で行われている。
      松の内(1月7日)が過ぎると子どもたちは正月のお飾りを集めて歩き回り、青年たちはセエトの材料となる松や竹を調達する。
      次いで、町内各所に大竹やおんべ竹を立て、町内境に道切りのシメを張るほか、セエノカミサンのお仮屋を作り子どもたちが籠る。
      祭り当日、町内各所のおんべ竹やお仮屋などが片付けられ、集められたお飾りや縁起物は浜辺に運ばれ、九つの大きな円錐型のサイトが作らる。
      日が暮れるとセエノカミサンの宮元や宮世話人が、その年の恵方に火をつける。
      この火で団子を焼いて食べると風邪をひかない、燃やした書き初めが高く舞い上がると腕が上がる、松の燃えさしを持ち帰って屋根に載せておくと火災除けのまじないになる、などともいわれている。

       

      富山県下新川郡入善町上野邑町地区で毎年1月15日または、15日に近い日曜日に行われる塞(さい)の神まつりという左義長(火祭り)行事で、子供達が塞の神と呼ばれる男女一対の白木でできた木偶(でく)人形(デクノボー)を持ち「塞の神じゃ、大神じゃ、じいじもばあばも、ほこほこじゃ、来年むけや、十三じゃ・・・」と唄いながら地区内の家庭を回り、正月飾りや書初め、米、豆などを集め、火祭り会場では竹と藁で中を部屋状にして角錐に積み、集めてきた正月飾りや書初め、米、豆などを藁と共に中と周りに積み、最後に木偶人形(デクノボー)を中に安置し火を着ける。
      子供達が「塞の神じゃ、大神じゃ、・・・」と何度も繰り返し唄う中、木偶人形(デクノボー)を完全に焼き尽くし灰になると終了となる。
      平成22年(2010)3月には、「邑町のサイノカミ」として国の重要無形民俗文化財に指定された。

       

      滋賀県近江八幡市の左義長まつりは3月14・15日に近い土・日曜日に、担ぎ手の男性が信長の故事によって化粧し、「チョウヤレ、マッセマッセ」のかけ声高く実施される。
      この左義長は据え置く左義長ではなく、三角錐の松明に、ダシと言われるその年の干支にちなんだ飾り物(五穀や海産物等すべて自然物で飾り付ける)を付け、松明の頭に「十二月」と言われる赤い短冊をつけた5〜 6メートルの竹を差して練り歩く祭礼である。
      地区毎に左義長を持ち、町中で左義長同士が出会うと、ぶつけ合う喧嘩が始まる。
      最終日の夜には担ぎ棒を除いて全て燃やしてしまう。
      国選択無形民俗文化財に選択されている。

       

      岐阜県海津市の今尾神社で行われる「今尾の左義長祭」も大規模であり、岐阜県重要無形民俗文化財に指定されている。

       

      その他の主な祭り
      どんと祭宮城県およびその近辺。
      約10万人が訪れる大崎八幡宮松焚祭(仙台市指定無形民俗文化財)を起源とする。
      1月14日夜に正月飾りを焼き、その火にあたると病気をせず健康で暮らせるといわれる。
      石巻市周辺では新生活運動により1970年代に前倒しが定着し、1月7日に行われる。
      松川だるまを新たに買い換えて、古いそれをどんと祭で燃やす習慣があるが、松川だるまの流通量が減少したのでだるまを燃やす習慣を持たない参拝者も多い。
      神火で餅を焼くということはなく、子供の祭りともされない。
      また、特に書初めを焼くということもない。
      寺社のみならず町内会などでも実施されてきたが、場所の確保等の問題で年々少なくなりつつはある。
      大崎八幡宮を初め、一部のどんと祭では「裸参り」が行われる。
      さいの神・才の神焼き・歳の神福島県会津地方、新潟[どこ?]ほか。
      会津地方では「歳の神」と呼ばれる。
      福島県会津地方では1月15日に行われる。
      大沼郡三島町で行われる伝統行事は、「三島のサイノカミ」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。
      墨塗り新潟県十日町市松之山町。
      焼きを行った後の行事の名前から。
      稀な例。
      焼く対象を「賽の神」と呼ぶ。
      おんづろこんづろ富山県黒部市宇奈月町下立(おりたて)の下立神社で行われる。
      燃え上がる炎が鶴の飛び立つ姿に見え、それが「おおづる、こづる」に、それが訛って「おんづろこんづろ」になった。
      三九郎(さんくろう)長野県松本地方。同地方で道祖神の祭りを統括する神主「福間三九郎太夫」の名前にちなむといわれるが、他にも諸説ある。
      だるまは一番目立つ頂上付近に飾り付ける。
      旧来は1月15日に行われていたが、最近は学校の休みに合わせ、1月7日ごろ行われるところが多い。
      米の粉で作った団子「繭玉」を柳の枝に刺して焼いたものを食べ、無病息災の祈願をする。
      かんがり、かんがりや長野県南佐久郡川上村。
      かがり火の転とも、歳神様を天に送る(神上がり、神上がり屋・夜)とも言われる。
      グロ島根県大田市五十猛町。
      「五十猛のグロ」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。
      墨付けとんど(墨付け神事)島根県松江市美保関町片江地区。
      1月7日(平成22年(2010年)以降は1月第2日曜日)に行われる。
      神輿を持ち「チョーヤサー」と言いながら練り歩き、最後は神輿を持って海へ入る。
      その前の年に結婚した人やテレビのアナウンサーも海に入る。
      そして参加者や見物人の顔に墨を塗る。稀な例。

       

      その他の呼ばれ方(五十音順)
      あわんとり(千葉県南部・茨城県南部)
      お焚き上げ(神社で行事としてする場合)
      おんべ焼き(単におんべとも)
      御柴灯(おさいとう)
      かあがり(長野県南佐久郡小海町、南佐久郡南相木村、北相木村)
      かんじょ(新潟県村上市岩船)
      さいと焼き(神奈川県横須賀市鴨居八幡)
      さぎっちょ(富山県、石川県、福井県、岐阜県、高知県、福岡県)
      しんめいさん(広島県東広島市安芸津町)
      道祖神祭り
      とうどうさん(愛媛県東予地方)
      とんど(奈良県、広島県、岡山県)
      とんど焼き(近畿とその周辺、東京都)
      とんど正月(兵庫県播磨地方)
      どんと
      どんどや(九州)
      どんど焼き(山梨県の一部地方)
      どんど焼き(群馬県、愛媛県南予地方)
      とんどさん(鳥取県)
      どんどん焼き(山梨県の一部地方)
      ほっけんぎょう(九州)
      やははいろ(東北)

       

      左義長の歌

      富山県砺波地方で、童謡の「かごめかごめ」と類似した旋律で拍子木で調子をとり歌う。
                                                                  (Wikipediaより)

      posted by: 1513neoya | とはずがたり | 03:24 | comments(0) | - |
      壽老人 観蔵寺
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        1月4日

         

        京成線高砂駅の階段を降りると、大きな立て看板がありました。

        それに従って左に曲がって歩くと

         

         

        見覚えのある道です。

         

         

        左側に電車が大きく見えて道なりに歩きます。

         

         

        分かれ道には看板があります。

         

         

        ゴミ置き場がいただけないですね。

         

         

        柴又七福神の幟の紅色が一段と鮮やかに見えます。

         

         

        入口には門松があります。

         

         

        柴又七福神 壽老人 観蔵寺

         

         

        柴又七福神 寿老人 観蔵寺の幟が何本も立っています。

         

         

        posted by: 1513neoya | 七福神 | 03:33 | comments(0) | - |
        七福神巡り 続き
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          これまでの七福神巡りの続きを紹介します。

          いずれもお正月に巡りました。

           

          平成二十三年、平成二十二年、二十一年

          http://sitifukujin-top.fudasyo.net/index.htm

           

          平成二十三年一月九日

          深川七福神

           

                        深川七福神 色紙

           

                  深川七福神

           

              冬木弁天堂  冬木辯財天

           

                 御朱印

           

           

           

           

          平成二十三年一月八日

          江戸最古 谷中七福神

           

                           谷中七福神 色紙

           

           

                   福禄寿

           

                 御朱印      

           

           

                  谷中七福神 絵馬

           

           

                  谷中七福神 

           

                 谷中七福神 宝船

           

           

           

           

           

          平成二十三一月四、五日

          日本最古 都七福神

           

                         都七福神 色紙

           

               大福まいり  六波羅蜜寺

           

             京都 黄檗宗 大本山 萬福寺

           

                  萬福寺 布袋尊         

           

                  御朱印

           

           

           

           

           

          平成二十二年一月七日

          小江戸川越七福神

           

                     小江戸 川越七福神 色紙

           

           

                 蓮馨寺

           

            

                 福禄寿

           

           

           

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                    御朱印

           

           

           

          平成二十二年一月六日
          浅草名所七福神

           

                    浅草名所七福神 色紙

           

           

                   今戸神社

           

           

            

                   福禄寿

           

           

           

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                    御朱印

           

           

           

           

           

          平成二十二年一月四、五日

          三 浦 七 福 神

           

                       三浦七福神 色紙

           

                 妙音寺

           

                弘法 大師堂

           

                鶴園福禄寿 

           

           

           

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                    御朱印

           

              相模湾に沈む太陽    

           

           

           

           

          平成二十一年一月七日

          隅 田 川 七 福 神

           

                      隅田川七福神 色紙

           

           

               墨田山 多聞寺

           

                 本堂

           

                毘沙門天

           

                 御朱印

           

          posted by: 1513neoya | 七福神 | 04:01 | comments(0) | - |
          七福神巡り
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            これまでの七福神巡りを紹介します。

            いずれもお正月に巡りました。

             

            平成二十九年、二十八年、二十七年、二十六年、二十五年、二十四年

            http://sitifukujin-top.fudasyo.net/index.htm

             

            平成二十九年一月六日

            日本橋七福神詣

             

             

             

               辨財天 水天宮

             

             

             

             

             

             

            平成二十八年一月四日

            江戸最初 山手七福神

             

             

             

               辨才天 蟠龍寺

             

             

             

                恵比寿神 龍泉寺

             

             

             

             

             

            平成二十七年一月五日

            武蔵野吉祥七福神


             

             

                 井之頭辨財天尊

             

             

             

             

             

             

             

            平成二十六年一月六日

            柴又七福神

             

             

                弁才天 真勝院

             

             

             

             

             

             

            平成二十五年一月六日

            小田原七福神

             

                  毘沙門天 潮音寺

             

             

             

             

            平成二十五年一月五日

            隅田川七福神

             

             

             

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                    隅田川七福神

             

             

                     三囲社

             

                  惠比壽神  大國神  

             

             

             

             

             

             

            平成二十五年一月四日

            新宿山ノ手七福神

                  毘沙門天 善國寺

             

             

             

             

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            平成二十四年一月五日

            下谷七福神

                  寿老神  元三島神社 

             

                  三面大黒天  英信寺

             

             

             

            平成二十四年一月四日

            鎌倉江の島七福神

             

             

             

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            posted by: 1513neoya | 七福神 | 04:08 | comments(0) | - |
            柴又七福神H30
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              1月4日

               

              いい香りを醸し出している蝋梅が何輪か咲いています。

               

               

              朝8時09分の気温がプラスの0.4℃です。

              この日のさいたま市の最高気温は9.1℃、最低気温は氷点下2.0℃でした。

              今日は柴又七福神をお詣りします。

              以前平成二十六年にも廻っていますが、

              寅さんの映画を毎週BSで見ているものですから無性に行きたくなりました。

               

               

              大宮駅を

               

               

              8時38分発の京浜東北線で都心方面へ向かいました。

               

               

              日暮里駅に着き、

               

               

              JR線から京成線に乗り換えました。

               

               

              8時40分 高砂駅に着きました。

               

               

              改札口を出た処に柴又七福神のパンフレットと地図が置かれてました。

              これが重宝なんですね。

               

               

              駅からの階段を降りた処に案内板がありました。

               

              柴又七福神(寿老人)

               高砂観蔵寺 

               

              posted by: 1513neoya | 七福神 | 03:58 | comments(0) | - |
              十日戎
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                今日1月10日は十日戎です。

                 

                 

                 

                以下の写真は平成24年1月10日に今宮戎神社をお詣りした時のものです。

                 

                 

                神社に行く参道の両側にはこのような縁起物を売るお店が連なっていました。

                 

                 

                神社の入口付近では小宝を求める人で一杯でした。

                 

                 

                笹に小宝を付けていきます。

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                お神楽もやっています。

                 

                この時は、全く知らないで行ったものですからどこに何があってどうなのか分からないであちこちうろうろおろおろ歩き回っていました。

                 

                十日戎

                 

                豊臣時代の頃になりますと庶民のえびす様への信仰はより厚くなり、また豊臣秀頼は片桐且元に社殿造営の普請奉行を命じています。
                またこの頃より市街が発達し、大阪町人の活躍が始まり、江戸期になると大阪は商業の町としてより一層の繁栄を遂げ、それと期を一にして今宮戎神社も大阪の商業を護る神様として篤く崇敬されるようになりました。
                十日戎の行事もこの頃から賑わいをみせ、延宝三年(1675)の現存する最も古い大阪案内の図「葦分舟」にも十日戎の状景が描かれています。
                また文芸の分野においても江戸初期の俳人小西来山の句集で今宮のことが書かれており、中期の大田蜀山人の紀行文にも十日戎が記されています。
                また浄瑠璃「艶容女舞衣」では十日戎が重要な背景として設定されています。
                明治には、それまでの問丸が雑喉場の魚市場、材木商組合、麻苧商組合、蝋商組合、漆商組合、金物商組合等が講社を結成し、十日戎はより一層盛んになりました。
                このように時代とともに盛大になっていく祭礼ですが、惜しくも昭和二十年の戦災で神社はことごとく焼失しました。
                しかしながら昭和三十一年には本殿が復興し、再び十日戎も活況を呈するようになり、現在では年の最初のお祭りとして十日戎の三日間に約百万人を超える参詣者があります。


                十日戎の笹

                 

                笹は、孟宗竹の枝で、いわゆる群がって生えている笹ではありません。
                竹は古代から、文学、美術、芸能、民具など日本人の生活とは密接な関係を保ってきました。
                中でも竹のもつ清浄さ、根強さ、節により苦難に耐え忍ぶ姿、冬も 青々とした葉を付け、更に竹林の生命の無限性、旺盛な繁殖力など、そこに強い生命力と神秘性を感じとり、神霊が宿るとさえ信じていました。
                こうした日本人の竹に対する感性が、色々な神事に笹が用いられることになり、竹取物語のかぐや姫が、竹から生まれるのも同様の信仰から基づいたものです。
                十日戎の笹も例外ではありません。
                常に青々とした葉をつけているところに、「いのち」を生み出し続け、「いのち」を常に甦らせている神秘性、その姿は、神道の信仰そのも ので、神々のご神徳によって、日々「いのち」が甦り、生成発展している姿を象徴しています。


                十日戎の象徴ー吉兆ー

                 

                十日戎を象徴するのが、神社から授与される小宝です。
                小宝は別に「吉兆」(きっちょう 若しくは きっきょう)と呼ばれ、銭叺(ぜにかます)・銭袋・末広・小判・丁銀・烏帽子・臼・小槌・米俵・鯛等の縁起物を束ねたもので、「野の幸」・「山の幸」・「海の幸」を象徴したものです。
                別の言葉として「山苞」「海苞」「家苞」とも呼ばれています。
                苞というのは、外からは内部が見えない簡単な容器のことで、もともと山や海や家からの「贈り物」を入れるうつわのことでした。
                「山苞」は山の神の聖なる贈り物、「海苞」は海の神の聖なる贈り物、「家苞」は里の神の聖なる贈り物となるわけです。
                これを「市」でそれぞれ交換します。
                それぞれを「替える」わけです。
                これが「買う」という言葉になります。
                この「野の幸」・「山の幸」・「海の幸」を象徴した吉兆は、その中にこもる「御神徳」をいただく信仰を受け伝えたものです。
                この吉兆を笹につけて参拝者は家路につきます。
                江戸期に作られた歌謡にも次のようにその状景が歌われています。
                「十日戎のうりものは、はぜ袋に取鉢、銭かます、小判に金箱、立烏帽子、米箱、小槌、たばね熨斗、笹をかたげて千鳥足」


                「戎橋」「戎舞台」の由来

                戎橋の橋名の由来、そもそもこの橋が、今宮戎神社への参詣の道筋に架けられたことから、「戎橋」の名が付けられたものです。
                江戸時代には、毎年の十日戎に、市中の人々は皆この橋を渡って、戎さんに詣り、往き帰りの群衆で橋上は大へん賑わいました。
                この戎舞台は、今宮戎神社と戎橋の、往昔からのこうした深いつながりに因んで、毎年一月十日の「十日戎」の祭日に、この場所に仮設される古例を復興したものです。


                十日戎献鯛行事の由来

                大阪では古く江戸時代の昔から、毎年一月九日は宵戎に、雑喉場(ざこば)魚市場が戎様にゆかり深い大鯛(雌雄一対)を今宮戎神社に奉献して大漁と商売繁盛を祈願するのが吉例になっていました。
                明治から昭和前期にかけては、もっとも盛大に美しく飾った献鯛行列が厳粛に繰り広げられたのです。
                今は雑喉場の流れを継承する大阪木津市場の人々によって、十日戎献鯛神事が奉納されています。
                三百年来の由緒ある古式にあわせて、縁起の良い鯛の初セリも境内で賑々しく行われています。


                宝恵駕行列(以下6枚の写真は平成24年1月10日今宮戎神社をお詣りした時のものです。)

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                元禄期になりますと十日戎の祭礼を彩る宝恵駕の奉納も行われるようになり今日と同じような祭礼となりました。
                宝恵駕も宝暦の頃には現在にみられる形式が整備されます。
                この頃から数多くの図が残されており、紅白の布で飾られた駕籠に盛装した芸者が乗り込み、その周囲を幇間が取り囲み、「ホエカゴホエカゴ、エライヤッチャエライヤッチャ」の掛け声とともに参詣する状景がしのばれます。
                現在では宝恵駕も地元商店街の協力の下、昔の様式を残しつつ、なおかつ現状にあまり乖離しないよう、芸能人、野球選手、文楽の人形の参加を得て行列を華やかに盛り立てています。

                                    (今宮戎神社より)

                                    

                 

                                平成30年度の福娘

                 

                 

                                福娘代表

                 

                                    (今宮戎神社より)

                posted by: 1513neoya | とはずがたり | 03:37 | comments(0) | - |
                黒豆 二日目と三日目
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                  1月5日

                   

                  翌日(5日)の朝、一晩汁に漬けておいた黒豆の鍋の蓋を開けました。

                  今日は灰汁を取ってからじっくりと煮ていきます。

                   

                   

                  9時52分 まず強火で煮ていきます。

                   

                   

                  10時07分 そろそろ沸騰してきました。

                   

                   

                  10時09分 灰汁の泡が出てきました。

                   

                   

                  泡が大きくなってきました。

                   

                   

                  泡がこぼれそうになってきました。

                   

                   

                  10時10分 お玉で泡をすくい取りました。

                   

                   

                  ここでびっくり水を入れます。

                  黒豆の袋にはさし水と書かれていますが、

                  NHK「今日の料理」の土井善晴さんのレシピではびっくり水と言ってます。

                   

                   

                  10時11分 再び沸騰してきて灰汁が出てきました。

                   

                   

                  お玉で灰汁をすくい取ります。

                   

                   

                  2回目のびっくり水です。

                   

                   

                  出てきた灰汁を取ります。

                   

                   

                  3回目のびっくり水です。

                   

                   

                  もう灰汁の泡が出てこなくなってきたので

                   

                   

                  10時16分 火を弱めて

                  (写真では炎が大きく見えますが実際は最も細い炎です。)

                   

                   

                  キッチンペーパーで作った落し蓋を入れて煮ていきます。

                   

                   

                  11時05分 水を足します。

                  1時間おきに蓋を取って中を確認しないと水がなくなって焦げてしまう恐れがあります。

                  以前焦げ付かせてしまい、失敗したことがありましたので

                  面倒でも1時間おきに中を確認するようにしています。

                   

                   

                  12時03分 また水を足します。

                   

                   

                  13時05分 焦げ付いてないです。

                   

                   

                  14時02分 この調子でいけば今回は上手くできそうです。

                   

                   

                  15時01分 もうそろそろいいでしょう。

                   

                   

                  15時04分 最後の水をさします。

                   

                   

                  15時31分 火を止めます。

                   

                   

                  ふたをしてこのまま翌日まで置いておきます。

                   

                   

                  6日朝 さて、出来栄えはどうでしょうか。

                   

                   

                  落し蓋を取り除くとぷっくりとした黒豆が顔を出しました。

                   

                   

                  しわもよらず黒光りしています。

                  我ながらいい出来栄えです。

                  これなら今日の新年会に胸を張って出して皆さんに食べていただけます。

                  孫の舞ちゃんはお豆が大好きとのことなので喜んでもらえそうです。

                   

                  posted by: 1513neoya | 料理 | 03:50 | comments(0) | - |
                  黒豆一日目
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                    1月4日

                     

                    今年の新年会が6日なので黒豆は年が明けてから作ります。

                     

                    兵庫県産

                     丹波黒

                      黒大豆

                     

                    何年か前でしたか丹波産が手に入らなくて北海道産の豆で作ったのですが味がイマイチでした。

                    それ以来丹波産の黒豆を早めに手に入れるようにしています。

                     

                     

                    丹波黒黒大豆の煮方

                    材料

                    丹波黒黒大豆・・・・・・200g

                    砂糖・・・・・・・・・・160g

                    食塩・・・・・・・・小さじ1弱

                    しょうゆ・・・・・大さじ1・1/2

                    重曹・・・・・・・・・・・少々

                    水・・・・・・4カップ(800ml)

                    さし水・・・・1カップ(200ml)

                    ※調味料はお好みにより加減してください。

                     

                     

                    作り方

                    黒大豆は水でそっと洗い、ざるにあげて水気を切ります。

                    厚手の深鍋に水を入れ、沸とうしたら火を止めてすぐに砂糖、食塩、しょうゆ、重曹を入れて混ぜた後、熱いうちにを入れてふたをし、一晩おきます。

                    翌日を中火にかけ、沸とうしたら泡とアクをとり、2回に分けてさし水をし、落しぶたをしてごく弱火で煮汁がひたひたになるまで5〜7時間ゆっくり煮詰めます。

                    ※弱火で煮ても、煮汁から豆の表面が出ているとしわの原因になりますので、適当のさし水を随時追加してください。

                     

                     

                    三温糖を計りにかけます。

                     

                     

                    ぴったり160gです。

                     

                     

                    引き出しに仕舞っておいた重曹を取り出して少量使います。

                     

                     

                    錆びた鉄釘を取り出します。

                     

                     

                    鉄釘は1年ぶりのご対面です。

                     

                     

                    袋から取り出した黒豆です。

                     

                     

                    水で洗ってざるにあけ、水気を切ります。

                     

                     

                    800mlの水を沸かした後に砂糖、食塩、しょうゆ、重曹を溶かします。

                     

                     

                    調味料が完全に溶けてから黒豆と錆びた鉄釘を入れ

                     

                     

                    蓋をして一晩おきます。

                    これで一日目の作業は終わりました。

                    翌日煮ます。

                     

                     

                    posted by: 1513neoya | 料理 | 03:19 | comments(0) | - |
                    七草
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                      今日1月7日は七草です。

                       

                      七草(ななくさ)は、人日の節句(1月7日)の朝に、七種の野菜が入った粥を食べる風習のこと。

                      元々の「七草」は秋の七草を指し、小正月1月15日のものは「七種」と書く。
                      この七種も「ななくさ」と読み、一般には七日正月のものを七草と書くなど、現在では元々の意味がわからなくなり、風習だけが形式として残った。
                      これらの事から、人日の風習と小正月の風習が混ざり、1月7日に「七草粥」が食べられるようになったと考えられる。

                      春の七種とは以下の七種類の植物である。

                       

                      春の七種

                      せり 芹 セリ Water dropwort セリ科

                      なずな 薺 ナズナ(ぺんぺん草) Shepherd's Purse アブラナ科

                      ごぎょう 御形 ハハコグサ(母子草) Cudweed キク科

                      はこべら 繁縷 ハコベ(蘩蔞) chickweed ナデシコ科

                      ほとけのざ 仏の座 コオニタビラコ(小鬼田平子) Nipplewort キク科

                      すずな 菘 カブ(蕪) Turnip アブラナ科

                      すずしろ 蘿蔔 ダイコン(大根) Radish アブラナ科

                       

                      春の七草、七草籠

                        (季節の花300より)

                       

                      この七種の野菜を刻んで入れたかゆを七草がゆといい、邪気を払い万病を除く占いとして食べる。
                      呪術的な意味ばかりでなく、御節料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能もある。

                      七種は、前日の夜にまな板に乗せて囃し歌を歌いながら包丁で叩き、当日の朝に粥に入れる。
                      囃し歌は鳥追い歌に由来するものであり、これは七種がゆの行事と、豊作を祈る行事が結び付いたものと考えられている。
                      歌の歌詞は「七草なずな 唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、合わせて、バタクサバタクサ」など地方により多少の違いがある。

                      七種の行事は「子(ね)の日の遊び」とも呼ばれ、正月最初の子の日に野原に出て若菜を摘む風習があった。
                      『枕草子』にも、「七日の若菜を人の六日にもて騒ぎ……」とある。

                       

                      歴史

                      古代より日本では、年初に雪の間から芽を出した草を摘む「若菜摘み」という風習があり、これが七草の原点とされる。
                      また六朝時代の中国の「荊楚歳時記」に「人日」(人を殺さない日)である旧暦1月7日に、「七種菜羹」という七種類の野菜を入れた羹(あつもの、とろみのある汁物)を食べて無病を祈る習慣が記載されており、「四季物語」には「七種のみくさ集むること人日菜羹を和すれば一歳の病患を逃るると申ためし古き文に侍るとかや」とある。
                      このことから今日行われている七草粥の風習は、中国の「七種菜羹」が日本において日本文化・日本の植生と習合することで生まれたものと考えられている。

                      日本では古くから七草を食す習慣が行われていたものの、特に古代において「七草」の詳細については記録によって違いが大きい。
                      『延喜式』には餅がゆ(望がゆ)という名称で「七種粥」が登場し、かゆに入れていたのは米・粟・黍(きび)・稗(ひえ)・みの・胡麻・小豆の七種の穀物で、これとは別に一般官人には、米に小豆を入れただけの「御粥」が振舞われていた。
                      この餅がゆは毎年1月15日に行われ、これを食すれば邪気を払えると考えられていた。
                      なお、餅がゆの由来については不明な点が多いが、『小野宮年中行事』には弘仁主水式に既に記載されていたと記され、宇多天皇は自らが寛平年間に民間の風習を取り入れて宮中に導入したと記している(『宇多天皇宸記』寛平2年2月30日条)。
                      この風習は『土佐日記』・『枕草子』にも登場する。

                      その後、旧暦の正月(現在の1月〜2月初旬ころ)に採れる野菜を入れるようになったが、その種類は諸説あり、また地方によっても異なっていた。

                      現在の七種は、1362年頃に書かれた『河海抄(かかいしょう)』(四辻善成による『源氏物語』の注釈書)の「芹、なづな、御行、はくべら、仏座、すずな、すずしろ、これぞ七種」が初見とされる(ただし、歌の作者は不詳とされている)。
                      これらは水田雑草ないし畑に出現するものばかりであり、今日における七種類の定義は日本の米作文化が遠因となっている。

                      江戸時代頃には武家や庶民にも定着し、幕府では公式行事として、将軍以下全ての武士が七種がゆを食べる儀礼を行っていた。

                                          (Wikipediaより)

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                      1.芹(せり)
                         川辺・湿地に生える
                      2.薺(なずな)
                         ペンペン草
                      3.御形(ごぎょう)
                         母子草
                      4.繁縷(はこべら、はこべ)
                         小さい白い花
                      5.仏の座(ほとけのざ)
                         正しくは田平子(たびらこ)
                      6.菘(すずな)
                         蕪(かぶ)
                      7.蘿蔔(すずしろ)
                         大根


                      ・14世紀の南北朝時代に、「四辻の左大臣(よつつじのさだいじん)(本名:四辻善成(よつつじのよしなり))」が源氏物語の注釈書「河海抄(かかいしょう)」の中で七草のことを記載している。

                      それが後年、よく知られる、
                      「せりなずな
                      御形はこべら 仏の座
                      すずなすずしろ
                      これぞ七草」


                      春の七草

                      の歌になって広まったことにより、「春の七草」の七種の草とその読み並べ方が定着したといわれる。


                      ・新春の1月7日に、春の七草を「七草粥(ななくさがゆ)」に入れて食べる習慣がある。
                      (食べると、災いを除け、長寿富貴を得られるらしい。)
                      「春の七草」が話題になると、そろそろお正月モードも終わりに近づきますね。


                      ・「君がため
                         春の野に出でて
                          若菜摘(つ)む
                        我が衣手に 雪は降りつつ」
                           (若菜 = 春の七草)
                             古今集 光孝天皇(こうこうてんのう) 百人一首(15)



                      せり なずな

                      ごぎょう はこべら ほとけのざ

                      すずな すずしろ


                      ・春の七草は「七草がゆ」にして食べるなど、食を楽しむものですが、秋の七草の方は花を見ることを楽しむもののようです。
                                          (季節の花300より)

                       

                      posted by: 1513neoya | とはずがたり | 04:10 | comments(0) | - |